節分に恵方巻を丸かぶり 豆まきや鬼退治の由来を知って古の風習に遊ぶ

スポンサーリンク
この記事の所要時間: 317

節分には恵方巻

こんにちは。飛鳥みやびです。2月3日は節分ですね。節分というのは、季節の分け目という意味で、実は年に4回あります。

「立春」「立夏」「立秋」「立冬」の前日です。しかし、現代では普通に節分といえば通常は立春(今年は2月4日)の前日を指すことになっています。

節分の日に、その年の恵方(2017年は北北西)を向いて太巻きを食べるという風習は、関西から始まったものですが、今では全国的に定着しているようですね。

恵方巻の起源は?

恵方巻の起源は諸説あってはっきりしませんが、発祥は古くても江戸時代の末期の様です。大正時代には大阪の花街で、節分時期に新香巻を恵方に向かって食べる風習があったとの事ですが、一般家庭では知られていません。

昭和7年に大阪鮓商組合が販売促進の為に「巻寿司と福の神 節分の日に丸かぶり」というチラシを配って「幸運巻寿司」として宣伝しました。それ以降、販促手段として断続的に実施されていきます。

1970年代に大阪の海苔問屋協同組合が節分のイベントとして行ったのが、マスコミを通じて広まったものが、次第に関西で定着しました。1990年以降に、売り上げの落ちる1月後半から2月初旬の販売イベントとして、コンビニを中心に、スーパーマーケットなどのキャンペーンで一気に全国で広まりました。

今では当たり前の様にテレビでも季節の話題として取り上げられていますし、様々なお店がオリジナルの太巻を販売したり、便乗商品を開発しています。

近所の北花田阪急でも、地元 堺の方違神社で祈祷した海苔で巻き上げた「丸かぶり寿司」としてバラエティ豊かな巻寿司が並んでいます。ヘレカツや海老カツ、サラダを具にした巻寿司等もありました。

節分には豆まき

節分と切り離せないのが豆まきですよね。平安時代には、季節の変わり目に邪気が生じる為、邪気払いに「追儺(ついな)」という行事が陰陽師によって行われていました。

その行事の中の「豆打ち」が豆まきのルーツといわれていて、室町時代以降は、豆をまいて悪鬼を追い出す行事となり、次第に庶民にも定着していきます。

その昔、鞍馬に鬼が出た時に、豆を鬼の目に投げつけて追い払ったという話があります。「魔(ま)の目(め)」に豆(まめ)を投げつけて「魔(ま)を滅(め)っする」という意味に通じます。

京都の表鬼門(北東)にある「吉田神社」と裏鬼門(南西)にある「壬生寺(みぶでら)」の節分祭が有名です。この様に鬼というのは方角(十二支・えと)と深い関係があります。

方位は子(ね)が北で、時計回りに子・丑・寅・卯・・・と続きます。鬼門である北東は、丑(うし)と寅(とら)の間で、艮(うしとら)となります。
だから鬼の姿は、丑(牛)の角と寅(虎)柄のパンツで表現されるんですね。

桃太郎の鬼退治

桃太郎の話も干支に関係があります。

陰陽五行説は、万物を陰と陽に分類し、森羅万象の構成要素を木火土金水の循環と考えますが、鬼のいる方向(鬼門・北東)に鬼ケ島があるとすると、桃太郎のすむ所は反対の方向(裏鬼門・南西)になります。

裏鬼門から時計回りに進むと西の方角を通ります。西は五行でいえば「金」に当たり、金に対応する果物は「桃」になります。又、西は方角でいえば申(猿)・酉(鳥=雉)・戌(犬)に対応します。

だから鬼を封じる為に、「桃」太郎は「西」回り(時計回り)に猿・雉・犬を連れて進み、財宝(金)を持ち帰るという話になっているのですね。納得です。

季節や自然と日本の風習や伝承は深く結びついていて、物事の起源を知るのは、面白いですね。恵方巻の様に、商業的に仕掛けられたブームや流行に流されるだけではなく、深い知識を知った上で、それに乗じて節分を楽しんでしまうのが一つ上の楽しみ方ではないでしょうか。ではまた。

スポンサーリンク
ランキングは今何位?
にほんブログ村 主婦日記ブログ 50代主婦へ にほんブログ村 ライフスタイルブログ 50代の生き方へ にほんブログ村 ライフスタイルブログ 50代 自分らしさへ

Share Please

Follow Please